公益財団法人 放射線影響協会 放射線様検証用

国際がん研究機関(IARC)公表のBMJ論文に対する当協会の見解(詳細版)(2005/07)

論文タイトル:
低線量電離放射線被ばく後のがんリスク-15カ国における後向きコホート研究

国際がん研究機関(IARC)のCardis等は、15カ国の原子力発電所等放射線作業者における外部放射線被ばくによる健康影響についての疫学解析結果をこのたびBritish Medical Journal(BMJ)誌上にショートレポート「低線量電離放射線被ばく後のがんリスク-15カ国における後向きコホート研究」として発表した。この研究では日本から提供したデータ・資料の内、白血病についてのみ解析に利用されている。広島・長崎の原爆被爆者のデータは、本解析結果と比較するため解析し直した。

1.IARC論文の主要な結論

(1) 白血病を除く全がん死亡のシーベルト(Sv)当たりの過剰相対リスク(ERR)は、英・加・米3カ国合同研究(1995年発表 ERR:-0.07/Sv,90%信頼区間:-0.39,0.30 以下3カ国研究という)と異なって統計的に有意となり、またLNT仮説に基づく中央点推定値は0.97/Sv(95%信頼区間:0.14, 1.97)となった。固形がんでは、ERRは0.87(95%信頼区間:0.03, 1.88)で、原爆被ばく生存者の場合(ERR:0.32/Sv, 95%信頼区間:0.01, 0.50)よりも高かった。


補図1 死亡数100以上のコホートにおける白血病を除く全がんのシーベルト当たり過剰相対リスク

 hozu1-2

(2) 慢性リンパ性白血病(CLL)を除く白血病でのERRは、1.93/Sv(95%信頼区間:<0, 8.47)で、3カ国研究(ERR:2.18 /Sv,90%信頼区間:0.13, 5.7)や原爆被ばく生存者(ERR:3.15/Sv,95%信頼区間:1.58, 5.67)の場合と異なって統計的に有意とはならず、過去の研究(1-3)から得られているリスク推定値と類似している。

(3) 以上の結果から、本研究で得られたERRは、現在の放射線防護基準の基盤となっている推定値より、リスク値は高いが統計的には同等であり矛盾しない。これらの結果は、結論として「放射線業務従事者が受けた典型的な低線量、低線量率の被ばくにおいてさえ、小さくとも過剰がんリスクが存在することを示唆している」こと、および「このコホートのがん死亡の1-2%が放射線に起因するかも知れない」ことを挙げている。


しかし、当協会は、以下に述べる理由でこれらの結論を妥当と認めず、低線量放射線による明確な健康影響が見出されたとの性急な解釈、判断は、厳に慎むべきであると考える。


コホートサイズが最大規模であり3カ国研究よりもはるかに大きい(表1)にもかかわらず、期待とは逆に統計的検出力は減弱した(信頼区間の幅がより大きい)(表2)。これは、比較的外部被ばく線量が高い者であるにも拘わらず、内部被ばくまたは中性子被ばくの可能性を理由に約6万人を対象者から削除したことが原因と考えられる。


表1:15カ国研究に含まれるコホート

  施設数 最も早い事業開始年 追跡期間 従事者数 観察人年 死亡者数 総集団
累積線量
(Sv)
個人平均累積線量
(mSv)
全死因 白血病を除く全がん 慢性リンパ性白血病を除く白血病
オーストラリア 1 1959 1972-1998 877 12110 56 17 0 5.4 6.1
ベルギー 5 1953 1969-1994 5037 77246 322 87 3 134.2 26.6
カナダ 4 1944 1956-1994 38736 473880 1204 400 11 754.3 19.5
フィンランド 3 1960 1971-1997 6782 90517 317 33 0 53.2 7.8
フランス
CEA-COGEMA
9 1946 1968-1994 14796 224370 645 218 7 55.6 3.8
France EDF 22 1956 1968-1994 21510 241391 371 113 4 340.2 15.8
ハンガリー 1 1982 1985-1998 3322 40557 104 39 1 17.0 5.1
日本 33 1957 1986-1992 83740 385521 1091 413 19 1526.7 18.2
韓国 4 1977 1992-1997 7892 36227 58 21 0 122.3 15.5
リトアニア 1 1984 1984-2000 4429 38458 102 24 1 180.2 40.7
スロバキア 1 1973 1973-1993 1590 15997 35 10 0 29.9 18.8
スペイン 10 1968 1970-1996 3633 46358 68 25 0 92.7 25.5
スウェーデン 6 1954 1954-1996 16347 220501 669 190 4 291.8 17.9
スイス 4 1957 1969-1995 1785 22051 66 24 0 111.2 62.3
英国 32 1946 1955-1992 87322 1370101 7983 2201 54 1810.1 20.7
米国 Hanford 1 1944 1944-1986 29332 678833 5564 1279 35 695.4 23.7
米国INEL 1 1949 1960-1996 49346 576682 983 314 19 1336.0 27.1
米国NPP 15 1960 1979-1997 25570 505236 3491 886 26 254.6 10.0
米国ORNL 1 1943 1943-1984 5345 136673 1029 225 12 81.1 15.2
合計 154 407391 5192710 24158 6519 196 7892.0 19.4

2.結論に対する協会の見解

(1) 統計的検出力の減弱

以下の略称を用いた
CEA-COGEMA:フランス原子力庁―核燃料公社
EDF:フランス電力公社;  NPP:原子力発電所
INEL:アメリカ合衆国アイダホ国立エンジニアリング研究所
ORNL :アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所


(2) 統計的な有意性の欠如

今までのうち最大規模のコホートサイズであるにもかかわらず、CLLを除く白血病のリスクが3カ国研究や原爆被爆生存者の結果
(表2)と異なり、統計的に有意とならなかった(表2)。


表2:原子力産業従事者および原爆生存者における、白血病を除く全がん、固形がん、慢性リンパ性白血病を除く白血病、のSv当たり過剰相対リスク推定値

  15カ国研究 原爆被ばく生存者
死亡数 過剰相対リスク
ERR/Sv(95%CI)
死亡数 過剰相対リスク
ERR/Sv(95%CI)
全がん(白血病を除く) 5024 0.97(0.14,1.97)    
固形がん 4770 0.87(0.03,1.88) 3246 0.32(0.01,0.50)
白血病(慢性リンパ性白血病を除く)
線形モデル 196 1.93(<0,8.47) 83 3.15(1.58,5.67)
線形二次モデル   1.54(-1.14,5.33)

(3) 交絡因子のデータの欠如
喫煙など、がんに影響する生活習慣が交絡している可能性については、参加コホートのほとんどが情報を欠いているため結論が出せない。喫煙関連、非関連のがんについての死亡率比較から、「喫煙の交絡のみでは、今回の過剰相対リスクを説明できない」とするにとどまっている。
日本人を対象とした当協会の調査(4)では、タバコの喫煙量やアルコールの摂取量は、累積線量とともに増加しており、交絡の可能性が高いと考えられる結果が得られている。


(4) 参加各コホートにおけるリスクの不均一性
論文では、コホートの不均一性は認められないとしている。しかし、1国ずつを除いて、残りすべてのコホートにつき解析した場合のSvあたりERR推定値の変動では、カナダ1国を除いた場合に、ERRが0.58(95%信頼区間-0.22, 1.55)となり、統計的に有意にゼロ以上とはならなかった。特に高値側に大きく外れるカナダ1国の結果が全体の結果を左右している可能性が高い。


(5) 解析結果の情報の公表について
本国際共同研究は、種々の条件のもとに多くの解析を行ったにもかかわらず、今回発表された解析結果は、1条件のみのものであり、その結果だけに基づいて結論を導いている。本来、このような研究においては、種々の解析条件での結果を比較検討した上で結論すべきものであり、またそれらの結果も公表して、専門家の議論に供する必要がある。しかしながら、今回のように公開性の乏しい形で公表された事は、甚だ遺憾である。


(6) 因果関係の判定
がんが放射線の影響を受けていることを立証するためには、単に、がんのリスクと累積線量との間の関連の強さ(統計的な有意性)があるだけではなく、以下に示す2)以下の因果関係の判定を満足する必要がある。(日本疫学会 「疫学 基礎から学ぶために」南江堂)


1) データの関連の強固さ
 データの関連性が強いこと。

2) データの関連の特異性
  疾病があれば暴露があり、暴露があれば予測される率でその疾病が発生すること。
3) データの一貫性
 特定の集団で観察された事象が、他の集団でも観察されること。
4) データの時間的推移
  暴露が発病よりも前にあったことが証明される。
5) データの整合性
 疫学的観察と動物実験・実験室的分析などの事実とが符合すること。
6) データの蓋然性
 疫学的事実が既存の生物学的知識・理論と合致する(妥当性がある)こと。
7) 用量-反応関係
  累積線量が多くなればなる程、がんのリスクが大きくなるか、あるいは少なくなる関係があること。


本論文は、低線量放射線の同種の研究との比較において、上記の因果関係を判定するに必要なデータが十分に示されていない。

(7) 社会経済階級指標の扱いについて
解析に考慮した(層別化)とされる社会経済階層指標(SES)が結果に及ぼす効果については十分な議論を尽くす必要がある。アメリカで調査された結果では、社会経済的状況は、がん原因の高々約3%としており、喫煙や成人期の食事・肥満の影響に比べてそれぞれ10分の1となっており、重要度はかなり低いものとして報告されている。
SESが利用できないか、あるいは完全ではないコホートとして日本、米国INEL、カナダ(オンタリオハイドロ社)の約10数万人が解析から除外され、約20数万人での結果を示しているが、SESが死亡率に与える影響が大きいと考えがたいので、除外された3つのコホートをも取り込んだ解析結果も提示されるべきである。

causeofcancer

(8) データの取り扱い
本論文には累積被ばく線量と過剰相対リスクとの関係を明示する図または表が含まれていない。そのため、ある線量域でのみ特に大きく高値側にはずれるようなデータが偶然得られ、それに引きずられて直線勾配がかなり大きくなって、発表結果のSv当りERRが大きく影響を受けた可能性を排除できない。

参考文献

(1) 3カ国解析: Cardis E, Gilbert ES, Carpenter L, Howe G, Kato I, Armstrong BK et al. Effects of low doses and low dose rates of external ionizing radiation: cancer mortality among nuclear industry workers in three countries. Radiat.Res. 1995; 142: 117-132.
(2) IARC Study Group on Cancer Risk among Nuclear Industry Workers. Direct estimates of cancer mortality due to low doses of ionising radiation: an international study.. Lancet 1994; 344: 1039-1043.
(3) Muirhead CR, Goodill AA, Haylock RGE, Vokes J, Little MP, Jackson DA et al. Occupational radiation exposure and mortality: Second analysis of the National Registry for radiation workers. J.Radiol.Prot. 1999; 19: 3-26.
(4) 交絡因子: Murata M, et al, Life-style and other characteristics of radiation workers at nuclear facilities in Japan: base-line date of a questionnaire survey. J. Epidemiol. 2002; 12: 310-319.